たんぽぽの歴史




1975年12月、青年学級の一つ『ボランティアと福祉を考える』 木曜青年学級で聴覚障害者問題について講演・討論会をし、その中から手話を 学ぶ仲間とろう者協会が一緒になり『世田谷手まねを学ぶ会』が発足し、 サークルの位置づけを話し合った。「聴覚障害者が楽しく充実した日々を 過ごすためには手話通訳者が増えるだけではく、地域の人々が自然な形で 聴覚障害者の日常生活を保障していけることも大切」「なぜ手話を学ぶことが 必要なのかを考えることのできる場が必要」との意見に基づき『コミュニ ケーションと交流を大切にし、時間はかかるけれどじっくりと地域に根付い た活動の場』を目指すことにした。
1976年手話通訳者養成を目的として「世田谷区手話講習会」が発足。
1977年会場確保、参加者減少などの問題解決のため、区の社会 教育事業「青年学級」として認可・助成を受けることになる。第3回雑居まつりに初参加。
1980年「第1回出夢出夢コンサート」に手話表現・ 手話通訳等で参加。
1981年「東京都手話サークル連絡協議会」に加入。 新たに世田谷区「障害者学級」として位置付けられた。
1987年「I LOVE パンフ(国の手話通訳制度 設置を求める)運動」の街頭宣伝・普及運動に参加。たんぽぽ10周年記念誌発行。
1988年7月、区広報番組『風は世田谷』に手話通訳 をつける運動に参加。
1989年世田谷区地域手話検討委員会に参加。 世田谷の地名手話表現を検討。
1990年 世聴協創立35周年記念大会に要員などで参加。また「手話や聴覚障害 についての理解者を地域に増やす」という目的から『出前パフォーマンス』 を児童館・母子寮などで実施。
1991年 世田谷区議選の街頭演説に手話通訳を付ける運動に参加。「あった会 ・正秋バンドコンサート」に手話表現で参加。7月世界ろう者会議東京大会に ボランティアとして参加。
1992年 「風は世田谷」に初めて手話通訳が付いた(ワイプ形式)。雑居まつり では『聴覚障害について多くの人に知ってもらう』ために手話劇・手話歌・ 手話クイズを披露。
1993年 3月「風は世田谷」に2,3回目の手話通訳が付く。「土の会」が役員レベル の話し合いの場に。「あった会」「ふきのとう」コンサートに手話通訳・ 手話表現で参加。
1994年 8月の例会に5週連続して年輩の聴覚障害者をお呼びし、戦争体験を お話していただく。以降8月の恒例活動となった。
1995年 2月世聴協40周年記念大会に要員として参加。「風は世田谷」に4回目の 手話通訳が付く。4月区議・区長選街頭演説に手話通訳が付く。7月たんぽぽ 20周年記念行事「親子セミナー」開催。政見放送のテレビ放映に初めて 手話通訳が付く。
1996年 2月戸塚小、12月松原小にて手話パフォーマンス。「風は世田谷」 5回目の手話通訳が付く。3月たんぽぽ20周年記念誌『たんぽぽは今』を 発行。
1997年 2月、長年活動拠点としてきたワタナベビルお別れ会。5月より 三軒茶屋区民集会所を定例会場として活動再開。
1998年 2月映画「どんぐりの家」世田谷上映会開催。11月東京都聴覚障害者大会 を世田谷区が主管。要員として参加。またその席で東京都聴覚障害者連盟より、 長年の活動に対して感謝状を頂く。
1999年 3月、差別法撤廃のための街頭署名に参加。同じく3月、2回目の 「どんぐりの家」世田谷上映会を開催。7月、花見堂小学校にて手話教室開催。11月、城南地区手話サークル交流会を池尻小学校にてたんぽぽ主催で開催。「たましろの郷」がいよいよ土地購入に向けて動き始める。



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